2015年5月26日火曜日

常識水準(メモ)

Copyright © 2004 京都大学大学院文学研究科日本哲学史研究室 戸坂 潤 1900-1945(明治33-昭和20) 略 歴   1900年(明治33年)東京神田に生まれるが、5歳まで母方の実家石川県羽咋郡で育つ。第一高等学校を経て1921年(大正10年)京都帝大文学部哲学科に入学。1924年同大学院へ。25年三木清帰国、所謂”哲学一高会”がもたれるようになる。徴兵で陸軍重砲隊へ。1926年(大正15年)京都工芸学校、同志社女子専門学校講師となり、「範疇としての空間について」等空間論を多く執筆。29年頃からマルクス主義研究を始める。1930年(昭和5年)共産党員を自宅に泊めたために梯明秀と共に検挙されるが、戸坂自身は一週間で釈放。1931年辞職した三木清の後をうけて法政大学講師となり上京。1932年(昭和7年)岡邦雄、三枝博音らと唯物論研究会設立。『唯物論研究』創刊号発刊。「京都学派の哲学」(『経済往来』)発表。以後批評論文を精力的に執筆。1933年「「無の論理」は論理であるか」発表。1935年思想不穏のかどで再び検挙され、法政大学免職になる。唯研から『唯物論全書』(三笠書房)の刊行開始、編集に奔走。『科学論』『日本イデオロギー論』刊行。36年『現代唯物論講話』刊。37年大森義太郎、岡邦雄、向坂逸郎、中野重治らと共に執筆禁止になる。1938年(昭和13年)弾圧の熾烈化の中で、唯研解散。『唯物論研究』を『学芸』と改題して刊行するも、発行禁止に。11月29日、所謂唯研事件で岡、永田広志、古在由重らと共に検挙さる。1940年12月保釈出所。44年9月日本敗北の時期にほぼ見通しをつけてから東京拘置所へ下獄。1945年5月空襲のため長野刑務所へ移送。7月栄養失調と疥癬のため急性腎臓炎を発病。8月9日獄死。 思 想   戸坂は「京都学派」という呼称を最初に与えた人物として知られており、「「無の論理」は論理であるか」等の西田への批判論文もある。しかしながら西田、田辺らの戸坂の評価は高かったとされており、西谷啓治との親交もあつい。とりわけ田辺との関係はごく近しいものであったようであり、田辺が弁証法研究へ向かうきっかけをつくったのも戸坂、三木らとの対話であった。 戸坂の仕事は、時局に対応した批評論文と、主に啓蒙的な意図から執筆された唯物論の原理的な解明にかかわる論文とに分けることができる。しかし両者は画然と分かたれるのではなく、密接に結びついており、またその主著が『日本イデオロギー論』とされる場合が多いことからもわかるように、むしろ彼の仕事の最終的な目的は時局への批評、イデオロギー批判にあったと言えよう。戸坂の哲学理論についてのスタンスは、その常識ないし日常性の考察からもうかがうことができる。 戸坂の思想にとって常識ないし日常性の原理に根ざしていることは重要な要素の一つとなっている。日常性の原理を超えることを訴える哲学理論にあってそれは特異な主張に見えるが、戸坂はまたスコットランド常識哲学のような意味でそう言うのでもない。戸坂によるとT・リード的な常識は一定のテーゼの形を成したドグマが公理として常識の内容となるようなものにすぎず、その内容は固定的保守的なものにすぎない。それに対して戸坂は、常識を単なる知識量の総和やその平均値ではなく、或る質的な水準と考える。即ち、平均を常に超出することこそが常識水準には求められるのであり、かくして常識的ということは、平均値を高めるべき標準ないし理想と理解される。このような常識に立脚するということが、日常性の原理に立つことであり、特に時局に対する実際性を有するということであって、唯物論はこうした立場に立たねばならないと言うのである。(以上『日本イデオロギー論』所収「常識の分析」より) 唯物論の原理的な解明、解説に於いてもこうした立場は明確である。戸坂の認識論はカントの物自体を、実践を通じて認識可能な物質として把握することから説き起こされるが、このような反映・模写が可能であるのは、意識が自然史の或る段階で自然から発生したという原始的同一性に基づく。認識内容は自然科学と社会科学とに分類されるが、この際両者は共軛関係にあり、これらの科学を統一的に体系化するものが唯物論哲学なのである。このようなものとして哲学とは範疇体系(即ち方法ないし論理)に他ならない。(以上『科学論』より) かくして戸坂にとって哲学は科学の方法としての論理であり範疇の体系なのであるが、こうした規定にはもちろん様々な哲学的問題が孕まれていると言えよう。しかしながら、それは戸坂が哲学を方法として実際に活用し、現にある時局に於いて生かそうと考えたことの現われでもある。戸坂潤研究のアクチュアリティーはこのような批判的立場の読解にあると考えられるが、彼のイデオロギー批判の方法を始めとして、思想史的研究だけでなく、哲学的研究の現代的深化が求められる。 (守津隆記、2005年8月)Copyright © 2004 京都大学大学院文学研究科日本哲学史研究室

0 件のコメント:

コメントを投稿